比較社会保障研究室(コータローの社会保障塾)
Comparative Studies on Social Security Systems (CSonScubed)

2025年8月30日付け中国新聞の「今を読む」欄に「子育て家庭への経済支援 手当と扶養控除の一元化を」と題して寄稿しました


 2025年8月30日付け中国新聞の「今を読む」欄に「子育て家庭への経済支援    手当と扶養控除の一元化を」と題して寄稿しました。

 中国新聞のデジタル版に掲載された記事については<デジタル版>をご覧になって下さい。なお、デジタル版を読めない方は、個人利用に限って<PDF>をご覧下さい・

 今回寄稿した内容は、基本的に2025年7月16日にHPに掲載した論文「子育て家庭に対する経済的支援の政策選択ードイツの児童手当と税の扶養控除の一元化の過程から考えるー」の内容を基礎に、そのエッセンスを一般紙の読者向けに簡潔に分かりやすくお伝えしようとしたものです。

 日本では残念ながら税制と社会保障給付を一体的に捉え、その機能の違いも含めて体系的に論ずることができていません。いわんや、<異次元の少子化対策>といいながら<負担増を伴わない形で>、そして、少子化対策という社会全体の政策課題を、いくら財政が逼迫しているとはいえ、保険給付を伴わない施策の費用を社会保険料として医療保険料に上乗せして徴収することとされました。

 こうした、およそ社会保険のイロハを無視し、長年にわたって先人たちが保険料負担を国民に受け入れてもらえるように、保険給付と保険料負担の牽連性とそのバランスに細心の注意を払って築き上げてきた<社会保険>の根幹への信頼を裏切るような、姑息な手法を用いたことは、残念でたまりません。

 本来、税制で対応すべき社会全体の課題をこじつけにこじつけて社会保険料に転嫁するような誤った政策を重ねてきたツケが、最近の選挙で見られるような社会保険料への重い負担感や厳しい拒否反応を引き起こしているのだと思います。

 そんな現状で、ドイツのようなきちんとした制度の再構築が期待できるとは考えていませんが、それでも、そうしたまともな議論をしていかないと、日本の社会保険はもう国民の信頼を維持できなくなっているのではないか、と恐れます。他の領域でも、報酬比例の厚生年金の基礎年金への転用や高額療養費への厳しい社会の批判なども、こうした蓄積されてきた社会保険への不信の現れだと考えています。

 「貧すれば鈍する」を地で行くような社会保障政策の現状を客観的に認識しつつ、それでも、いろいろな立場からきちんとした責任ある議論が重ねられていくことに一縷の望みを託し、問題提起を続けたいと願っています。


“2025年8月30日付け中国新聞の「今を読む」欄に「子育て家庭への経済支援 手当と扶養控除の一元化を」と題して寄稿しました” への2件のフィードバック

  1. 「少子化」が言われ始めて、いったい何十年が経過したことか。
    自分自身の行政経験を踏まえながら、政治と行政の愚かさについて自問自答しています。
    いつになったら、まともな子育て施策がおこなわれるのか?
    この様な政治・行政を許している我々国民にも責任は大きいと考えます。
    小生が県の高齢者施策を担当していた際に、公の場で、高齢者から「日本の政治・行政は、高齢者を大事にしない!」と言われました。
    小生、本当は「何を言ってる。これほど恵まれた国はそうはないぞ!」と思っていたが、口から出た言葉は「いやー、国にも県にもお金が無いものですから。」 
    いやはや申し訳ない。

  2. 子育ての状況もこの50年で随分変わりました。児が健康でも貧困(金銭的貧困、社会的貧困、虐待)が増え、障害児の親の考え方も様々な考えを持つように若い親の価値観が変わってきました。その中で皆に平等な制度設計はよほど腰を据えて関わらないと無理と思います。医療が先行して制度設計が出来ていると思いますが、介護や社会的な面の制度は遅れに遅れています。

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