比較社会保障研究室(コータローの社会保障塾)
Comparative Studies on Social Security Systems (CSonScubed)

2026年2月17日に論文「育児期間の年金算入制度の理念、内容およびその展開」を掲載しました


2026年2月17日に論文「育児期間の年金算入制度の理念、内容およびその展開」を掲載しました。
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ドイツの公的年金制度は、1957年改正法以来、完全賦課方式による財政運営の下で、報酬比例の保険料に対応して報酬比例の年金を給付し、賃金スライドにより毎年改定するという、貢献原理の強い基本設計となっています。これにより年金水準は飛躍的に上昇し、老後生活の主柱として、広く国民の間に受け入れられてきました。

しかし、こうしたルールの下では、就労の中断やパートタイム労働などによる労働報酬の欠落や減少は、そのまま老後の年金レベルの低下に結びつきます。その影響をとりわけ強く受けているのが、育児による就労の中断や抑制を余儀なくされることの多い女性達です。一方で、賦課方式は、財政基盤の継続性を世代間契約によって支えられており、将来の年金財政を支える働き手を産み育てるという非有償労働による制度への貢献をどう評価すべきか、という課題を抱えてきました。

これに対応して、中道保守のキリスト教民主同盟(CDU)の社会派を中心に新たな社会政策の一環として提案されてきたのが、家庭において育児に携わった親(殆どの場合は母親)の育児を通じた貢献を、家庭外で有償労働に従事した場合と同等に扱い、年金の保険料納付済期間と見なすという政策です。

この制度は、1986年に初めて導入され、92年からは3年間に延長されましたが、それまでにすでに年金を受給していた人や、92年前に生まれた子は対象外とされました。このため、親の生年や子の出生時点にかかわりなく、平等に取り扱うよう改善を進める立法措置が段階的に講じられてきました。しかし、なにぶん、対象者が多く、連邦一般財源による財政負担も巨額に上るため、一気には進まず、制度創設から40年間かけて、昨年2025年12月に成立した法律により、ようやく完全に平等な取扱いが実現しました。

そこで、今回は、この制度の理念や内容、改善の歩みを分析し、その評価を行いました。よろしければご覧になって、色々な意見があるこのテーマについて、考えをめぐらして頂ければ幸いです。

なお、この2025年の年金改正法は、この母親年金以外に、日本のマクロ経済スライドに相当する持続可能性要素による賃金スライド率の抑制が年金水準の低下を招いているとして、2019年から導入された、年金の最低保障水準を2025年まで手取り賃金の48%に保障する措置を、さらに2031年まで延長する重要な内容を含んでいます。この内容をめぐっては、CDUの一部の若手議員が造反しましたが、メルツ首相は原案通り強行し、僅差で可決されましたが、今後の政局に大きな課題を残しました。日本においてもマクロ経済スライドによる年金、とりわけ基礎年金の水準低下をどうすべきか、大きな課題となっています。今回の論争は、両国とも制度導入から20年以上が経過し、改めて、この間の経過を踏まえて、保険料負担と年金給付水準の限度をどうバランスさせるべきか、という重い宿題を突きつけています。その分析は現在並行して進めており、また取りまとめができ次第、掲載する予定です。


“2026年2月17日に論文「育児期間の年金算入制度の理念、内容およびその展開」を掲載しました” への3件のフィードバック

  1. 玉稿を拝読し、以前、日独年金協定(最終的には社会保障協定と命名)締結に向け、ドイツ側と交渉して際の育児期間の取扱いのやり取りの記憶が蘇りました。ドイツ側の主任交渉官が、3歳までの育児期間を就労と同様に給付に結び付ける制度は年金制度の例外措置であり、社会政策・年金政策における大きな決断の末に導入したものであることを力説していた姿が今も記憶に残っています。1997年当時のことです。

    • 高原さん
      お久しぶりです。コメント有難うございました。
      私は1985年から88年まで、当時はボンにあった日本大使館で厚生アタッシェとして勤務していましたので、まさに今回のテーマの育児期間の年金算入や、育児手当法と育児休業法などの新たな社会政策に強い印象を受けていました。その後40年間の歩みを振り返ることができて嬉しく思います。折しも、こうした「新たな社会問題」に対応するキリスト教民主同盟の社会派のガイスラー氏を中心とする社会政策が次々と打ち出された時期で、82年から98年まで労働社会大臣を務めた彼の盟友ブリューム氏、さらには無名の教育学教授だったのをガイスラー氏が見出してコール首相に推薦し、後任の連邦児童、家庭および保健大臣(86年からは彼女の希望で「女性」の所管を追加)を88年まで努め、さらに施策を推進したジュースムート女史など、輝いていたリーダーたちを思い出します。この論文執筆中の2月1日にジュースムート女史が88歳で逝去されたのも、ご縁を感じます。彼女は閣内でコール首相に煙たがられて体よく祭り上げられたと言われていますが、連邦議員1年にして連邦議会議長に就任し、その後98年までの10年間の長期にわたり議長職を務めました。多くの人から敬愛され、連邦議会誌Das Parlamentは彼女の追悼特集を組み、「傍流から登場し、国母へ(Von der Seiteneinsteigerin zur Staatsfrau)」と表題を組んでいます。

  2. 田中さま、メッセージをありがとうございます。
    今日の昼休みインターネットでARDのニュースを眺めていましたら、連邦議会でのジュースムート女史のお別れの国葬の様子が流れていました。党派を超えて敬愛されていたことを感じさせる映像でした。
    社会政策からは外れてしまいますが、ロシアのウクライナ侵攻から実に4年。戦後40年の1985年にドイツ連邦議会でヴァイツゼッカー大統領が行った演説のことを思い起こします。ドイツ内外で「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」というくだりで知られる演説ですが、その演説の中で「ソ連でゴルバチョフが登場し、欧州における人権尊重に対するソ連の貢献をコメントしている。モスクワからのこうした兆しを決して見過ごすまいぞ」、「壁で分断される欧州に真の平和はない」といったことを強調しているのが印象に残っています。コール首相やゲンシャー外相はじめ、自分たちの世代でこの問題を解決しようという強い意志が印象的だったのと同時に、当時は東西対立の最前線が東西ドイツであり、再統一にあたっての最大の難問が統一ドイツのNATO帰属問題であったこと、そしてその後NATOがどんどん東に範囲を拡大し、今や東西対立の最前線がウクライナになっていることの重みを感じずにはいられません。
    ゴルバチョフがいたからこそ実現した東西ドイツの統一、そのことが今のウクライナ侵攻にも繋がっているように感じます。戦後80年の折り返し点である1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説はいろいろなことを示唆しているように感じます。長々と失礼いたしましたが、厳しい寒さのウクライナに一日も早い平和が訪れることを祈念いたします。

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